[2024/5/4]

お母さん、いい加減あなたの顔、忘れたいです…。

母の日も近いってことで、今日は僕のお母さんについて書こうと思う。

1994年。5月の暑い日。僕はこの世に生を受けた。母、35才の時の子。ちなみに、父は母の7コ上。晩婚だったんだね。ま、父はバツイチで後々ちょっとした事件が起きるんだけど、その辺のことはまた追々(笑)

高橋がマザコンなのは有名な話だけど、単に仲が良いってのとは、ちょっと違うかなぁ。もっと何ていうか根深いといいますか、色でいうと赤むらさき?ワケわかんないか。やめた。

この世で一番好きだけど、この世で一番嫌いな人…みたいな?

ま、男の子と母親のカンケーなんて、みんなそんなもんか。

食べ放題に行けば、食べ過ぎて吐く母ちゃん。洋服を買っても、気に食わないと返品する母ちゃん。2回買ったら3回は返してるな。1歩進んで2歩下がる。水前寺清子もビックリだよ。

母ちゃんはソフトな毒親。僕を干渉し、管理したがる。僕の髪型にまで口を出してくる。29才にもなって、襟足の長さまで母親に管理されるとは思わなかったよ。

ヒゲ剃れ、髪切れ、いちいちウルサイよ~♪

でもね、そんな一癖も二癖もある母ちゃんだけど、やっぱり感謝はしてますよ。なんてったって、中学時代の唯一の友達だからね。母ちゃんは。

僕は中学時代、クラスで孤立していて、友達なんて一人もいなかった。当然、休みの日にクラスメイトと遊ぶみたいなことはなく、代わりに母ちゃんとばかり遊んでいた。

地元で遊ぶとさ、同級生とかに会っちゃうから、母ちゃんの運転でわざわざ3~40分かけて、遠くの街に行くんだよね。そこで、バッティングセンターで遊んだり、ショッピングモールをウロウロしたりしてね。

んで、お昼は決まってマックか幸楽苑。今でこそ色々外食するけど、当時は節約志向でさ。幸楽苑。300円くらいで中華そばが食えたんだよ。その300円の中華そばが僕にとってはご馳走でさ。とっても嬉しかったんだよね。

地獄の中学校生活だったけど、土日にそうやって母ちゃんと出かけることで、何とかバランスを保ててたんだと思う。おかげで何とか不登校にならずに中学校は卒業できた。ありがとう!母ちゃん!(ま、結局、高校で不登校になるんだけどね笑)

そうそう、母ちゃんにはたくさん迷惑もかけました。代表的なのが「高校を10日で退学事件」だよね。ほんと、ごめんなさい!母ちゃん!

母ちゃんは、僕にかなり期待してたんだと思う。良い高校に入って、良い大学に行って、良い会社に就職して…。全部裏切ったからね。見事に。

そんな吾輩も今月で30才でやんす。何とか無事、生きのびました。

※※※

僕「俺って、良い息子かな?」

母「良い息子は学校やめたりしないだろ」

一緒に犬の散歩をしながら、そんな会話をする。

まだまだだな。こっからだな。親孝行っていうと、なんかムズがゆいけど。

お互い元気で。なるべく面白い明日へ。